死という影があることで生に立体感が生まれる ——泣けるゾンビ映画『28年後』と私のメメント・モリ

※この記事には映画『28年後』のネタバレが含まれます。

先日、映画『28年後』を観ました。この作品は、ゾンビウイルスが蔓延してから28年が経過したイギリスを舞台にした物語です。ゾンビ映画と聞くと、多くの方が血みどろのサバイバルやパニックを思い浮かべるかもしれません。しかしこの作品は、それらの枠をはるかに超えた、死と生の隣り合わせの関係性、そして命の受け渡しという深いテーマを描いた、哲学的で重みのある人間賛歌でした。

物語の中心には、病の床にある母親を慕う一人の少年がいます。彼は過酷な世界で生き抜きながら、人間としての尊厳や命の意味について学んでいくのです。

なかでも私の心に深く残ったのは、「メメント・モリ(memento mori)」という概念です。ラテン語で「死を忘れるな」「いつか必ず死ぬことを思い出せ」と訳されるこの言葉は、かねてより私が心のどこかで大切にしてきた人生の軸でもありました。

死と生は親子のようなものかもしれない

この映画を観ながら、ふとある感覚が芽生えました。

「死と生は、もはや切っても切れない”親子”のような関係ではないか」

”死と生は表裏一体”——などという言葉は耳慣れているものの、今回、物語の中でさまざまな人物の死や命の継承に触れるうちに、好むと好まざるとに関わらず必ず繋がっている血の関係「まさに親子のような関係ではないか」と思うようになったのです。

私たちは普段、生の中にどっぷりと身を置いて暮らしています。しかし、死という影の存在がなければ、生という光もまた、のっぺりとした平面のように、どこか立体感を欠いたものになってしまうのではないでしょうか。

廃墟の美しさと「国破れて山河在り」

この映画の印象的な要素のひとつは、ゾンビや人間のグロさと対照的に描かれる、イギリスの美しい自然風景でした。

ウイルス感染により封鎖されたイギリスという島国は、いわば現代文明世界から切り捨てられた状態にあります。そこには、人間の営みが消え去った後に残る、純粋な自然の姿がありました。

私は以前から「天空の城ラピュタの廃墟」や「軍艦島」「華やかな京都よりも静寂の奈良」といった、廃墟的な雰囲気に美しさを感じてきました。そこから漂う「国破れて山河在り」のような、懐かしくも悲しい、祭りの後のような静寂。本作の風景からも、同じようなイメージが呼び起こされました。

文明が去り、人の手が離れた場所に宿る美しさ。それは、死と生の循環を静かに物語っているように感じました。

骨のモニュメントと、医師のまなざし

物語には、坊主頭の元医師が登場します。彼は荒廃した世界で医療に従事する一方で、亡くなった人々の頭蓋骨を集めてモニュメントを作り続けていました。遠くから見れば、ただのオブジェのように見えるその場所には、よく見ると一つひとつの頭蓋骨が、静かに重なり合っていました。

それぞれの骨には、生きた証があり、人生があった。そう思うと、あのモニュメントはまさに「メメント・モリ」そのものだったのだと感じます。

また、その医師の振る舞いも印象的でした。彼は感染者(ゾンビ)と遭遇しても、暴力的に排除するのではなく、麻酔を使って穏やかに”眠らせる”という方法を選択します。命を無理やり絶つのではなく、人間らしい穏やかな最期を与えるという医師としての矜持が、この絶望的な世界でなお失われていないことに、私は深く胸を打たれました。

がんで亡くなった母と、新たな命の誕生

物語の主人公である少年は、がんを患った母親を失うという辛い体験をします。この荒廃した世界で、医療も十分でない中、母親は静かにその生涯を閉じていきます。

一方でこの映画には、もうひとつ象徴的な場面があります。それは、感染者(ゾンビ)のような、”死と生のはざま”にある存在から、新たな命が誕生するという描写でした。

私は、がんという病気に対して、「寿命の一形態」「共に生きていく存在」と捉えており、健康診断などであえて”見つけ出す”という行為に対しても慎重な立場です。だからこそ、少年の母親の死が「ゾンビに奪われた命」ではなく、「受け入れるべき命の終わり」として描かれていた点に、私は深く共感を覚えました。

そして、死の象徴でもある感染者(正確には死んでいない)から生まれる新たな命。これはあまりにも皮肉で、しかし同時に神聖です。“死”の中から”生”が芽吹くという構図は、生命の本質に迫っているように思いました。

少年の成長物語が好きな理由

私自身、昔から「少年が苦難を乗り越えて成長する物語」に惹かれてきました。おそらく、その原体験は『銀河鉄道999』にあるのだと思います。

母を失った鉄郎が、機械の身体=永遠の命、を求めて宇宙の旅へ出る。そして旅の中でさまざまな出会いと別れを経験し、最終的に「限りある命」人間として生きる事の意味」に目覚める——

今回の『28年後』の少年もまた、似た道のりを歩んでいたように感じます。母親を失った悲しみを背負いながらも、荒廃した世界で様々な人々と出会い、自らの足で新たな道を歩んでいく。こうした成長の物語には、自分の人生そのものを重ねずにはいられないのです。

なぜ現代人は「メメント・モリ」を避けたがるのか

現代の日本社会において、「死」を語ることはあまり歓迎されませんよね。「不吉」「縁起でもない」「暗い話」として、どこか避けられてしまう傾向があります。

明るく前向きでいること、長生きすること、ポジティブに考えること——こうした価値観が前提となっている社会では、「メメント・モリ」のような死生観は、重たく、面倒なものとして捉えられがちです。

しかし、本当はその逆だと私は思っています。**死を見つめるからこそ、今日という一日が輝き始める。**それが、「死を忘れるな」という言葉の持つ、本来の力ではないでしょうか。


「死という影があることで、初めて生に立体感が生まれる」

光だけでは世界はただの平面、のっぺりとした人生です。そこに影があることで、奥行きや輪郭、深みが生まれる。死という存在があるからこそ、生はリアルで、尊く、愛おしいものになるのだと思います。

おわりに

『28年後』という作品は、私にとって一つの問いかけを残しました。「あなたは、自分の死と、どう向き合うのか?」

こんなブログを書きながらも、今の私はまだ死を実感はしてません。それでも、こうして言葉にできる今のうちに、自分なりの”メメント・モリ”を胸に刻んでおきたいと思っています。

もしあなたがこのブログを読んで、少しでも「自分の生」について考えるきっかけになったならうれしいです^ ^

 
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