『ケーキの切れない非行少年たち』で世間の見方が一変してしまった、、、その理由とは
- 2025年06月19日
- カテゴリー:ニュースや話題から考える
こんにちは!院長の平野です。
今日は、少し重たいんですけど、読む前と後で世の中の見方が変わってしまった。そんな本のお話をしたいと思います。
先日大ベストセラーになっている本『ケーキの切れない非行少年たち』(宮口幸治 著)を読んで、ものすごくいろいろ考えさせられました。
タイトルだけ見ると、「なにそれ?」って思うかもしれないけど
内容はズバリ、認知機能(記憶、注意、理解、判断などの脳の働き)の弱さが原因で、社会とうまくかみ合わない子どもたちの話です。
「非行」は性格の問題じゃなかった
私も治療家として20年近く様々な方を診てきましたが、なかなか習慣が変わらない人が多い。だからこの本を読んだときに、ハッとしました。
“頑張れない”とか”やる気がない”んじゃなくて、そもそも**「実行機能(計画を立てて実行する脳の働き)」や「認知機能」が弱い**っていう背景がある人たちが一定数いるんだってこと。
非行少年の中には、「ケーキを3等分してください」と言われてもうまくできない子が多いらしいんです。単純な話のようで、実はこれ、空間認知(物の位置や形を理解する能力)や論理的思考がうまく働いてないってことなんですよね。
そして、この境界知能(IQ70~85の知的水準で、知的障害には該当しないが平均よりも低い範囲)より下の方々は、人口の14%いるそうです。IQの分類だから、当たり前と言えば当たり前だが、数字分布と起きている社会問題が繋がった時は驚きでした。10人に1人以上ですよ!
対症療法だけでは何も変わらない
「なぜこんなことをするのか」じゃなくて、「どうしたら再発を防げるか」に目を向けないと、同じことが繰り返される。
そして実際、司法も医療も教育も、”対症療法”で終わってることが多いと著者は指摘しています。
これって、日本社会全体の問題でもありますよね。
- 司法:犯罪が起きる→罰する→また犯罪が起きる
- 医療:病気になる→薬で症状を抑える→根本原因は放置
- 教育:問題行動→叱る・排除→なぜその行動が起きるかは考えない
そして私たちの日常も同じ構造です。
疲れた→栄養ドリンク→また疲れる
太った→ダイエット商品→また太る
ストレス→買い物で発散→また別のストレス
根本的な「なぜそうなるのか」を考えるより、目の前の症状を手っ取り早く消すことを優先してしまう。
これじゃあ、まるで終わらないモグラたたきゲームです。
日本の教育に足りないもの – EQを育てる視点
本の中で紹介されている「コグトレ」(認知機能トレーニング)について、私は非行少年に限らず、一般の子どもにも有効だと考えています。「観察する」「数える」「想像する」など、基本的な思考力を少しずつ育てるトレーニングで、すごくシンプルだけど効果的です。
私はこれが、結果的にEQ(感情知能指数:感情を理解し適切に扱う能力)の向上にもつながると考えています。基礎的な認知機能が整うことで、相手の気持ちを理解したり、自分の感情をコントロールする土台ができるからです。
日本の教育って、「100点という正解があって、そこに効率よく近づく」ことばかり重視してきました。でも実際の社会では、答えのない問題ばかり。多様な価値観の中で、どう他者と協調していくかが大切なのに、そういう教育が圧倒的に不足している。
知識が広まることの光と影
この本がベストセラーになったことで起きている現象についても考えさせられました。
先日、ASDのお子さんを持つ患者さんとこの本についてお話しする機会がありました。彼女が指摘してくれたのは、知識のラベル化や偏見、そして差別につながる危険性。
例えば、少し変わった行動をする子がいると、すぐに「発達障害かも」と疑われる。診断名が一人歩きして、その子が一人で遊んでいるだけで「やはりそういう特性があるから」と決めつけられてしまう。実際には、その子なりの楽しみ方をしているだけなのに。
知識は刃物と一緒。使い方次第で役立つ道具にもなるし凶器にもなるという事を改めて教えて頂きました。
親として伝えなければならない現実
またこの本を読んで、私は自分の子どもとも難しい話をしました。痴漢などの性犯罪についてです。
本書では、境界知能の方々の中に、男女関係を適切に理解できなかったり、性衝動をコントロールすることが困難な方がいることが書かれています。決して「境界知能=犯罪者」ではありません。ただ、認知機能の特性として、社会的なルールや他者の気持ちを理解することが難しい場合があるということです。
そして、そういう特性を持つ方が人口の14%いるという現実
私は子どもにこう伝えました。「見た目がおなじような姿で、おなじ日本語を話していても、みんなが同じ価値観や理解力を持っているわけではない。これは差別や偏見の話ではなく予防の話。自分を守るために知っておかなければならない事だよ。」
子どもは「善悪で判断するのではなく、リスクを理解して行動することの大切さ」として納得してくれました。
親として、子どもの安全を守ることと、社会の多様性を理解することの両立。
これは簡単ではありませんが、避けては通れない課題だと思います。正しい知識があれば、必要以上に恐れることも、無防備でいることもなくなります。
「健康=納税者」という視点
この本でとても共感した点の一つが、「受刑者を社会的納税者に変えることができれば、国としてもメリットが大きい」という部分。
私自身も、健康でいることは”自分のため”だけでなく、”社会のため”にもなると考えています。健康を維持することで、医療や介護のリソースを使わずに済み、さらに働いて保険料を納めることができる。
つまり、「社会のコスト」じゃなくて「社会の資本」になれるという感覚。
この件に関しては、以前に「高齢者と若者」という切り口で同様の問題についてお話ししました。
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最後に一言
「子どもの心に扉があるとすれば、その取っ手は内側にしかついていない」
この言葉がすべてを表している気がします。
無理やり開けようとせず、どうすればその子が”自分で”扉を開けたくなるのか、そこに焦点を当てていきたいなと思いました。
社会を変えるのは一人じゃ無理だけど、目の前の一人をちゃんと見ることなら、今日からでもできる。私も治療家として、そして一人の人間として、これまで以上に根本原因に目を向ける姿勢を大切にしていきたい。対症療法の罠にはまらないよう、常に「なぜ?」を問い続けること。
この本は、そんな”原点”を思い出させてくれる一冊でした。^ ^
漫画版は人間ドラマとしても、とても面白いですよ↓↓↓